1997年 16、17号 ブルース・イン・スクール/ビリー・ブランチ・インタビュー

  シカゴから西に30分程走ったところに位置するヨーク市は東京でいえば田園調布や自由が丘にあたる、立派な邸宅がならぶ閑静な住宅街。ヨーク・ハイスクールはそんな高級住宅街のおぼっちゃま、おじょうちゃまが通う有名校だ。同校が、生徒達にブルースを聞かせちゃおうというプログラムを立ててくれたおかげで、小生は生まれてはじめて子供達を相手にブルースをプレーすることになったのだった。
 
 当日オーディトリアム(日本でいうところの講堂)に集まった1000人ほどの生徒達は12歳から18歳くらい。白人が大多数を占め、ちらほらと黒人やヒスパニック系もいる、典型的な郊外の学校というかんじだ。それにしても1000人もの子供達が集まったときのエネルギーはすげえ。J.Wがシャウトすればウワーとくるし、小生がソロでギンギンに弾きまくればまたウアーだ。また、スローブルースでヴォリュームを下げて語りかけるように弾くと、場内はシンと静まりながらも所々”イエー”と声がかかったり、バンド全体が盛り上がってくると、一斉に拍手が起こるなど、かなりセンスのある聞き方をしているのには感心した。ブルースっていえば酸いも辛いも知った大人の音楽、というのが一般のイメージだろうし、小生もそう思っていたけど、彼等の反応を見ていると、音楽に年齢は関係ないようだ。あとで先生が、年に数回はプロのブルースバンドやジャズバンドを呼んでいるし、学校にはブラスバンドはもちろんジャズバンドもあって学校がバックアップしていると教えてくれて、なるほど生徒たちがライブ・ミュージックに馴れ親しんでいる様子が伺えたのも納得だ。
 
 それにしても、学校にブルースバンドを呼んじゃうなんてすげえなあ、と感動した小生。小生の高校時代なんて、くる日もくる日も退屈な受験対策用の授業ばかり。野球があったからドロップアウトせずに済んだものの、そうじゃなきゃとても耐えられるもんじゃなかった。文化祭でもエレキは駄目とかいろいろ規則がうるさかったしな。日本ではたぶんほかの高校もそう変わらないんじゃないか、と思う。もし高校時代に近藤房之助さんや、ウエスト・ロード・ブルース・バンド、あるいはローラーコースターズなどを学校で聞く機会があったらわざわざアメリカに来ることもなかったかも知れない、などと思った。
 
 こうした学校でブルースをプレーしたり教える”ブルース・イン・スクール”はここ数年アメリカ各地で少しずつ広がってきているようだ。日本でも人気のあるハーモニカ奏者のビリー・ブランチはその方面の草分けとしてもよく知られた存在だ。そこで”ブルース・イン・スクール”の状況をビリーに詳しく聞くべく、ビリー宅に電話をした。すると、ビリーが眠そうな声で、
「おう、インタビューか。問題ねえぞ。いつ?キングストン・マインズで9時か?うーん、仮にそのインタビューでギャラが出るとすれば9時に行けるかもしれないなあ」このとぼけながらもがめつい言い方に思わず吹き出した小生が、
「インタビューじゃギャラは出せないけど、酒一杯ならおごるよ」ビリーは笑いながら
「冗談だよ。心配するな。9時に行けたらいくよ」
 
 結局9時には来ずに、ギグの後に楽屋でビリーがいつも内ポケットに忍ばせているマーテルを二人でちびりちびりやりながらのインタビューとなった。
菊田(以下、菊):子供達に教えるようになったのはいつから。
ビリー(以下、ビ):1978年。イリノイ・アート・カウンシルでのことだよ。サリー・フィッシンスというピアニストと一緒だった。彼はブルースマンじゃなかったけど、ブルースをよく理解していたし、教えるのがっとてもうまかったんだよ。約1時間ほどのコンサートの後に、奴隷制度などの社会背景も含めてブルースの歴史を教えたり、子供達を壇上に上げて一緒に歌ったりしたね。
菊:教えることに以前から興味はあったの?
ビ:シュン、よく聞いてくれ。俺は素晴しいハーモニカ・プレイヤーじゃないかもしれない。でも教えること、特に子供相手にはすごく自然にできるんだ。これは俺が持って生まれた資質だと思っている。たぶん俺自身の気持ちが子供のままだたらかもしれないね。最初に子供達に教えた時、これからもずっと彼等と一緒にいたいって、願うような気持ちを抱いたのを覚えているよ。ジョークやバカげた話しもたくさん盛り込んで、時にはクレイジーにもなったりしながらブルースを楽しむのが子供達も俺も大好きなんだ。
菊:彼等に興味を持たせながら教えるっていうことだね。
ビ:そうそう。大学教授みたいに(かしこまった声で)『ブルースはミシシッピーで生まれ、マディ・ウォーターズの生年月日は・・・・』なんて言い方じゃ彼等は興味を持たないし、おもしろくないよ。ジョークを飛ばし、笑いながら楽しくやらなきゃあ。キッズはイノセントだからな。
菊:その時の子供達の反応は?
ビ:グレイト。子供達ってのは一度興味を持ったら吸収するのがすごく早いんだ。楽器を実際に教えたり、オリジナルあるいはトラディショナルな曲を書かせたりもするんだけど、なかにはすばらしいポテンシャルをもった子供もいるよ。俺自身が歌いたくなるような、湾岸戦争をテーマにしたすばらしい詞を書いた子もいるし、ドラッグやレイプなど彼等が日常で直面した問題について書く子もいるね。
菊:ブルースを教えることで何を彼等に伝えたい?
ビ;まずは、彼等が日常ラジオやテレビで聞いている音楽のほとんどがブルースをルーツにしている音楽だということ。俺自身で言えば、ブルースの外から来た人間で、17になるまでブルースを聞いたことがなかった。黒人の家庭に育ちながらもね。ハーモニカは吹いていたけど、「メリーさんの羊」とか「オー・スザンナ」とかのフォーク・ミュージックを吹いていたよ(笑い)。当時はラジオから流れてくるマーヴィン・ゲイやステーヴィー・ワンダー、ジェームス・ブラウン、ビーチ・ボーイズ、ドアーズ、ジミ・ヘンドリックスとかを聞いていたんだ。でもそれらの音楽には必ずブルースのルーツがあることをある時知ったからね。そうした音楽史や黒人が辿ってきた道のりを理解してもらえれば嬉しいね。
 というあたりで紙面が尽きてしまった。この後マーテルの勢いもあり、ビリーの話しにも熱が入り、最後にはプリーチャーと化していくわけだけど、詳しくは次号にて。お楽しみに。

 前号でお届けした”ブルース・イン・スクール”にまつわるビリー・ブランチのインタビュー続編をさっそくいってみよう。

菊:最近の”ブルース・イン・スクール”の活動状況は?
ビ:ここ10年ほどシカゴ・ブルース・フェスティヴァルで子供達とステージでプレーしていたんだけど、今年はそのスペースを削られたのは残念だったな。でもノースサイドのストーン・アカデミー中学校で定期的に教えているし、ミシガン州のフリントで先月教えたばかりだし、シアトルにはバンドで1ヵ月行ってきたよ。その時は生徒達にハープ、ギター、ベース、ドラムそれぞれの楽器を教えることができたのもよかったね。あと、アーカンソー州ヘレナのサニーボーイ・フェスティバルで子供達と出演したしね。
菊:基本的にアメリカ中を教えて回っているわけだね。
ビ:そうだな。まだやれるところは限られているけど、少しずつ範囲が広がってきているかんじだね。
菊:最近の若い黒人達はブルースを聞かないって言われるけど、”ブルース・イン・スクール”を通して彼等にもっとブルースに興味を持って欲しいよね。
ビ:ものすごくその気持ちが強いよ。信じてほしいんだけど、俺自身も17歳になるまでブルースを知らなかったんだから。でも彼等がブルースを嫌いだっていうわけじゃないんだ。単にブルースを経験するチャンスがないだけなんだよ。
菊:ラジオでブルースがかからないとかの理由で?
ビ:その通り!シュン、君がアーティス(シカゴ・サウスサイドにあるクラブ。小生は J.Wウィリアムスと毎週日曜、ビリーは月曜にレギュラー出演している)でプレーしている時、若い連中も何人か見かけるだろう?彼等は毎週通ってきているんだよ。なぜならブルースに触れたからすごく興味を持ったんだ。まさしく俺みたいに。ラジオがプレーしないから知らないんだよ。仮に誰か人気のあるポップシンガーが『フーチークーチーマン』を歌ったらみんな買うはずさ。でもブルースは説明されなきゃいけないことなんだよ。昔のデルタように黒人のコミュニティにいつもブルースがあった時代とは情況が変わっているからね。
菊:ちょっと話しは変わるけど、以前黒人の友達に、信仰心のあつい黒人家庭ではブルースは悪魔の音楽、あるいはネガティブなものとして聞いてはいけない、としつけるところもあると聞いたんだけど、それが若い黒人のブルース離れにも影響しているのかな?
ビ:それは本当の話さ。でも白人によるプロパガンダ(宣伝)によるところが大きい。シュン、君にならわかるだろう?君は日本人として中立の立場で外からものが見える。世のグレイトな黒人ブルースミュージシャン達の多くは大金を稼げていない、という事実を。ブルースってのは黒人のフォーク・ミュージックなんだよ。シュンならニュートラルな立場からそれがよくわかるだろう。例えばエルビス・プレスリー。スティヴィー・レイ・ヴォーン。スティヴィーは人間としてはいい奴だったけど、彼がカール・ウェザズビーやローリー・ベルと同じレベルでブルースがプレーできるかって?ノー・ウェイ!冗談じゃない。わかるだろう?ところが白人のアーティストがあまりにビッグになってすごい金を稼いでいる事実があるんだよ。これは悲劇だよ、悲劇。そうさ悲劇だ。(この時点でかなりビリーは熱くなっている)シュン。今日はいいインタビューだな。(ほとんど自分に酔っているビリー)ところで俺の金はどこだ?
菊:”Where's my money" (と、小生はビリーのオリジナルを歌ってみせる)この曲好きだよ。
ビ:ハハハ、そうか。サンキュー。
菊:話しをちょっと”ブルース・イン・スクール”に戻そうか。ビリーが教えた中にプロのブルースミュージシャンになった子はいるの?
ビ:一人だけ、ジェモイヤ・トーマスっていうサン・トーマスの孫娘がいるんだ。サン・トーマス知っているだろう?数年前に亡くなったデルタブルースマンだ。で彼の孫のジェモイヤをブルース・イン・スクールで7、8年教えたんだ。ウィスコンシン州のアシュカシュで彼女が俺達と一緒にギグをやったことがあるよ。まだ完全なプロとは呼べないけど、キャリアをスターとさせたことろだね。でも素晴しいものを持っているよ。それ以外にはプロでプレーしているのはまだいないけど、才能を持った子供たちは何人も知っているね。
菊:将来的に子供達とCDを作るプランなんていうのはあるの?
ビ:ぜひそれはやってみたいな。まだ具体的にはなにもないけどな。子供達には希望があるんだ。俺は本当に子供達を気にかけているんだよ。我々は抑制された厳しい現実に生きているんだ。わかるだろう。そういう現実にたいして何かできれば、と思う。
菊:我々というのは黒人全般?
ビ:そうだね。
菊:学校で教えるのは黒人の子供が多いわけ?
ビ:ノー。白人、日本人、ヒスパニックそれこそ多種多彩の子供達が相手だよ。時には白人の学校もあれば、黒人の学校もあるしね。でもどの人種の子供達に対してもブルースが黒人のコミュニティーで育まれてきたことや、奴隷制度とその歴史を話すんだ。
ローリング・ストーンズやビートルズ、レッド・ツェッペリン、ガンズ・アンド・ローゼズ、メタリカ。みんなブルースが基になっているとね。子供達に事実を教えてやるのはすごく大切だし、彼等はちゃんと聞いてくれる。事実を知りたがってもいるし。
菊:海外で教えた経験は?
ビ:日本でハーモニカ・クリニックをやったことはあるけど、子供には教えたことはないね。
菊:そういうオファーがあればやりたい?
ビ:オフコース!!。俺は伝道者(プリーチャー)だ!!(自信満々に言い切る)
菊:ブルースの伝道者。
ビ:そうそう。ブルースのな。(笑い)
 
 この後も人種問題を切々と説くビリー宣教師だったけど、ここでは割愛させていただこう。小生が経験したヨーク・ハイスクールでのブルースライブや、ビリーのインタビューでも感じたんだけど、学校の教育の一環として自国の文化を守って、育てていこう、というアメリカの姿勢は日本でもぜひ取り入れていただきたい。時代によって政治や経済の盛衰は変動する。だからこそ、国の支えになるのは文化ではないか、なんて思った小生。バブルはじけて国そのものまでも泡となって消えてしまわないようひたすら祈る小生だ。