1998年 21号 ジュニア・ウェルズ・トリビュート・コンサート

 前号のチコ・バンクスのインタビューに続き、今号でも新進ミュージシャンのインタビューを予定していたんだけど、2月16日にジュニア・ウェルズ氏へのトリビュート・コンサートが行われたので、その様子をリポートすることにしました。みなさん、おつきあいのほどを。
 
 その日のシカゴは雪模様だった。ベチャベチャに濡れた歩道を歩く人の群れと、数珠つなぎになって徐行する車のほとんどはディアボーン・ストリートにあるハウス・オブ・ブルースに向かっていた。小生も雪とその群れをかき分けてほうほうの体で店の中に入る。一般入場口の左側にある関係者受付でパスをもらってエレベーターで3階のオペラボックスへ。ドアを開けて中に進むと会場眼下に広がる。ここからだとステージ、客席、バーも見渡せて最高のロケーションですぜ。ゆったりした椅子も心地いいし、ウエイトレスのオネエチャンが注文までとりに来てくれるってんだから嬉しいじゃありませんか。ついでに短いスカートで天井から酒を注いでくれちゃったりなんかすると、ノーパンシャブなんとかみたいで、尚よろしいっすよね(んあこたあどうでもいいって)。小生まずステージを見てオオッ。ハープを右手に握ったジュニアが1、5メーターX1メーターくらいの大きさのキャンバスに描かれていて、ステージの上座前方に飾られているではないか。絵の中のジュニアは、生前気に入っていたシカゴの夜景が背中に描かれたジージャンを着ている。それを見ただけで小生の涙腺がゆるんできやがった。

 いかん、いかん、先は長いからな、とつかのまの感傷に浸っているうちに、トップ・バッターのフィル・ガイが登場。70年代にジュニアのバンドでプレーしていた当時は、アフロ・ヘアーにベルボトムのパンツがトレードマークだったフィルも、今では恰幅もよくなり、ベテランの風格さえ備わってきた。ジュニアのレパートリーの一つでもあった”ヘルプ・ミー”はじめ3曲をプレー。そして2番バッターは女王ココ・テイラーだ。バンドもタイトだったし、便秘に効きそうな力の入った彼女の唸りとコブシも健在だ。
「ジュニアとはもう40年近くの付き合いだったわ。家族のような存在で、なにか右腕を失ったような気分ね」
と話すと、最後にお馴染みの”ワンダン・ドゥードゥル”で畳み掛ける。小細工の効く2番バッターというよりは松井のようなパーワーヒッター的なステージ。クイーンの貫祿をしっかり見せつけてくれた。バンドセットが替わる間にオークションが行われた。このよ出演するミュージシャン全員のサインが書かれたギターと、同じくサイン入りのアリゲーター・レコード20周年コンサートのポスターがステージに。ギターは400ドルで、ポスターは300ドルで競り落とされたようだ。ジュニアの絵がオークションにかけられたら絶対買うぞ、と気合いを入れていた小生だったけど、売りに出されなかったのは、残念。
 
 さて、ステージにはロニー・ブルックス・ブルース・バンドが登場だ。ロックン・ロール・ナンバーでキックオフ。途中でギターの弦を2本も切ったロニーは「ジュニアが上のほうでいたずらしているみたいだな」と笑わせる。そしてマイナー・スロー・ブルースでペースダウン。歌は熱く、音数は極力抑えながらもダイナミックスをしっかり利かせ、ここ1番で吠えまくるギター・プレーは圧巻で、小生ほんとうに泣きそうになっちまった。間違いなくこの夜最高のプレーだったね。次いで出てきたのはオーティス・ラッシュ。ロニーのあのプレーを聞かせられてオーティスも黙ってはいまい、と期待が気球のように膨らむぜ。”オール・ユア・ラブ”ではじまり、”アイ・ワンダー・ワイ”と2曲をプレー。10分以上ソロが延々と続いた”アイ・ワンダー〜”のズッシリ重いブルース世界はまさにオーティスそのものだ。一時は糖尿病が悪化してかなり危険な状態の時もあったオーティスだけど、ここ2、3年は食事療法の甲斐あって体調もかなりよさそうで、コンスタントなプレーを聞かせてくれているのは何よりも嬉しい。5月の来日も充分期待できそうだ。普段ステージでめったに話すことのないオーティスも「みなさん、ジュニア・ウェルズに大きな拍手を」と旧友を称えることも忘れなかった。
 
 少しの休憩を挟んでビリー・ブランチが次に登場した。十八番の”ニュー・キッズ・オン・ザ・ブロック”では、ジュニアが得意にしていた2拍3連を何度も繰り返すエンディングを真似。手ぶりまでジュニアそっくりで、思いきり笑わせてくれた。会場もこの夜一番の盛り上がりだ。「まるでジュニアの魂が俺に乗り移ったような気分だぜ。ジュニアそっくりな音が出ているって思う瞬間があったよ」とビリー。次いでジュニアもよくやっていたサニー・ボーイの”サムバディ・ガッ・トゥ・ゴー”をプレー。まさしくトリビュートにふさわしい熱のこもったプレーだったね。その後、5月には初来日もするサン・シールズ、そしてマジック・スリムが続けてステージに上がった。サンは96年に発売されたライブ・アルバムにも入っているオリジナルを中心に、スリムはいつもながらのドロ臭いノリで”セイル・オン”や”ラブ・サンバディ”などをプレー。ジュニアのトリビュートとは言いながらも、淡々といつもと同じセットの二人だった。

 オーティス・クレイは”ドント・バーン・ダウン・ザ・ブリッジ”で登場だ。数年前までは「ブルース」は「ブルース・エトセトラ」などにもよく出演していたのに、ここ2、3年彼の名前を見る機会がめっきり減ってしまっていたからどうしたのか気になっていたんだよね。最近になって知ったんだけど、なんと彼はウエスト・サイドでクリーニング店を経営しているそうで、フェスティバルなどの大きな仕事を中心にブックしているんだって。どうも、オーティスがシャツにアイロンをかけている姿は想像できないけど。なんにしても元気な姿を見れたのはよかった。そしてこの夜最後に登場したのはブルース界のキャプテン・トリップ、シュガー・ブルーだ。「ジュニア聞いてくれよ」と言うなり、”メッシン・ウィズ・ザ・キッド”のイントロに入る。『ジュニア、ジュニア」と何度も叫びながらすさまじく熱のこもった、ハイなプレー。ジュニアを本当に尊敬していたことがヒシヒシ伝わってきたね。
 
 ここまで読んで『誰か欠けてねえか?』とお思いの方もいらっしゃるでしょう。そのバディ・ガイは、ツアーの最中でスケジュール調整ができなかったそうだ。残念ながら出場機会のなかった小生も、「キングストン・マインズ」で”リトル・バイ・リトル”をやってジュニアに追悼させていただきやした。四十九日も、お彼岸も過ぎちまったから、一周忌にはジュニアが好きだったタンガレー・ジンでももってお墓参りしようかな。