BBキング/インタビュー(2005年)

 2003年2月7日、”ブルースの年”を記念して行われたNY、ラジオ・シティでのコンサートが『Lightning In A Bottle』と題してスクリーンに蘇った(日本では日活映画社より2月後半から上映開始)。総勢50人を超える出演ミュージシャンの中でも、特別な存在だったのがBBキングだ。1月初旬、ツア−先のニュージャージーにBBキングを訪ねた。

菊田:お久しぶりですね。NYのラジオ・シティで行われたライブが映画になりました。御覧になりましたか?
BB:(小生が差し出した日本語のパンフレットを見ながら)『Lightning In A Bottle』については聞いた事はあるけれど、まだ見てはいないんだ。その映画が公開され、さらに自分も参加させていただいたのは、光栄なことだね。
菊田:さて、2003年は”ブルースの年”でした。ミスター・キングにとっては毎年が”ブルースの年”のようにも思うのですが(笑い)、ここ数年のブルースの盛り上がりについては、どう思われましたか?
BB:全く君の言う通りだよ。僕の人生そのものが”ブルースの年”と言ってもいいね(笑い)。ある時、ディスク・ジョッキーが私のところに来て『BB、ブルースが復活(Resurgent)してとても嬉しいんですよ』と言ったことがある。復活?私はそれを聞いて思わず頭を掻いてしまったよ。私が行った小さな学校では、復活とは何かがあって、それがなくなり、後に戻ってくることを意味する。よくないね。私はずっと同じように活動してきたんだ。多くのグレイトなブルース・シンガーも同じようにずっと活動を続けてきた。ロックをプレーするスーパースター達がブルースをプレーしていないと、多くの白人達はブルースは存在しない、と感じてしまうんだろうね。でも彼等はBBキング、ボビー”ブルー”ブランド、リトル・ミルトン、スティーヴィー・レイ・ヴォーン、ロバート・クレイら多くがずっとブルースをプレーし続けてきたのを忘れているようだね。
菊田:確かにブルースの年といっても、あくまで白人側が仕掛けた大プロジェクトだったということで、シカゴのブルース・シーンも特に変わったことはありませんでしたよ。
BB:そういうものだよ。ブルースは、いつの時代にもあったし、これからもあるんだよ。

菊田:あなたは、ブルースの歴史そのものですが(BBが横から『単に年をとっているというだけだ』と突っ込みを入れる)、ブルース・ミュージシャンにとってどの時代が一番恵まれていたと思いますか?
BB:今日だね。何故なら、今が一番若い人たちがブルースをプレーし、多くのラジオ番組がブルースをかけているから。中でもワシントンDCのスカイ・ラジオは一日中ブルースをかけているんだ。こんなに恵まれた時代は他になかったね。君がわざわざ会いに来てくれているけれど、昔はテレビや雑誌は私のようなブルース・シンガーには話し掛けてもくれなかった(笑い)。大統領や他の人たちとは話しても、ブルース・シンガーとは話をしなかったよね。
菊田:いやいやそんなことはない。僕ならいつでも喜んで会いにきますよ(笑い)。
BB:ハハハ。今はケブ・モー、コーリー・ハリスなど若い人たちが多く出てきているし、白人だけでなく、君のように日本人もブルースをプレーしている。世界中の多くの人が、ブルースに敬意を払い、スタンダードとして存在していることを認めるようになったのではないかな。あと、個人的に今年は、故郷ミシシッピー州インディアナオラ市に<BBキング博物館>ができるんだよ。地元の商工会議所やチャリティー団体が寄付などを集めてくれて、2000万ドル(20億円強)のプロジェクトになった。多くの人に訪ねて欲しいし、日本に帰ったらみんなにそう伝えてくれよ(笑い)。
菊田:<BBキング博物館>が日本人で満員になるように宣伝係として頑張ります(笑い)。ということで、続きは次号にて。

 ブルース・ライブ・ドキュメンタリー・フィルム『Lightning In A Bottle』(日活映画社)がいよいよ日本でも上映された。読者のみなさんも御覧になっただろうか。ということで、前号に続き本作に出演しているBBキングのインタビューいってみよう。

菊田:先程、ブルースがインターナショルになって最高の時代になった、と言っていましたが、言葉が通じない国、例えば日本でもブルースは理解されていると感じますか?
BB:イエス。人間は誰でもブルースを理解できるものだよ。何故なら、誰の人生にも問題があり、彼等が望まない事や、好ましくないことが起こる。日本でもドイツでもヨーロッパでも、南米でもどこでも問題は起こるんだ。私は高い教育は受けていないけれど、地理については教えることができると思う。今までに 90か国以上を旅してきた。その経験から、どこにでも問題はあるもの。もっともブルースは、問題があるところから始まったけれど、必ずしも悲しいことばかりではないんだ。個人的には、奴隷でさえ一日中嘆き悲しんでいたわけではないと思う。
菊田:やはり人間なら誰でもブルースは感じる、と。同じミュージシャンとしてとても励みになりますね、その言葉は。人間全てに通じる音楽なのに、特に教会関係者の間で”悪魔の音楽”と呼ぶ人がいることが信じられないです。
BB:ブルースは、クラシック音楽や、カントリー・ミュージックというように、奴隷が始めた音楽にレーベルをつけたものだと思っている。もちろんそれは全てが幸福なものではない。奴隷の音楽なのだから。私が育つ中で、多くのファミリーが宗教的なことを教え、キリストについて教えたものだよ。ところが中には、それらを心に留めない人たちもいたんだ。何故なら、キリストを信じている人たちでさえ奴隷を売り、女房や子供達をも売っていたその事実が認められなかったから。中でも最も反抗的だった人たちは、「キリストがやってくる」とゴスペルを歌う代わりに、「マイ・ベイビーが出て行ってしまった」と歌ったわけだ。私もそんな反抗者の一人なんだよ(笑い)。

菊田:素晴らしい反抗者ですね(笑い)。お陰で僕もこうしてブルースを弾かせてもらっています(笑い)。ところで、あなたほど大きな功績を残されても、やり残したことっていうのはまだあるんでしょうか?
BB:映画には出演してみたいね。「ペプシはどうですか?」っていう台詞だけでなく、もっとしゃべる役をもらえると嬉しいね(笑い)。アルバムもいくつか実現させたいものがあるんだ。アメリカでは、現在3億人近くの人が住んでいる。私がレコードを作ると、もし100万枚売れればとてもラッキーなんだ。中にはエルヴィスのように、出すアルバム全てが100万枚以上を売るような人もいる。多くの人が『BBあなたは素晴らしい』と賞賛してくれるけれど、3億人もいる中で100万枚を売るのにも苦労する自分は、決して良いとはいえないよね(笑い)。
菊田:では最後に、これまでのあなたの人生を振り返ってどんな思いがわいて来ますか?
BB:私は、人生の始めのほうで悪い事が多くあったけれど、いつも良い事が悪い事を覆うような形で私を守ってくれた。私が幼い頃は、母親と祖母が数年間隔で亡くなり、当時のプランンテーションのファミリーに預けられた。学校までの5マイルを、白人の子供達はバス通学を許されていたが、我々は歩いたし、そういうものだと思っていたんだ。ところが、ある時、担任のルーサー・H・ヘンスン先生が「いつの日か、人々は肌の色には関係なく君が行った事や功績に対して賞賛を贈るようになるだろう」と言った言葉がとても心に残っている。まさに今、僕自身がそれを体験しているんだ。あなたがたが私にしてくれる事を考える時に、自分は世界一ラッキーな人間だと思うよ。ありがとう。